こういう事も認識しながら、客観的に日本の事を理解していかなくてはいけないと思う。
僕も日本に帰国して7年が経とうとしているが、こういった経験は少なからずあったし、その度に理解が出来なかったことも多かった。スピーディーに結論や結果を出すやり方だけがいいとは思わないが、その方法や、やり方も知った上で、時間を掛けながら物事を進めて行くことが、今後の日本のあるべき姿に近いのではないかな。
どうだろうか?
ある
メルマガから。
【アメリカと日本】
みなさんこんにちは。
日本と米国・・・危機への対応力という意味で、これほど際立った違いをみせる対比も珍しいのではないでしょうか。
バーナンキさんに対する批判も一時は耳にしましたが、ここにきて着々と打ち出す対策に、市場はFRBに対する信頼を取り戻しつつあるように見えます。
金融機関に対する公的資金の投入についても、私達日本人の感覚でみればどう考えてもまだまだ先のお話し、証券会社や銀行が二つ三つ破綻してからのこと・・・このように考えていた方も多かったのではないでしょうか。
ちなみに我が国の場合、1990年のバブル崩壊から6年経過後の1996年に、当時の住専(住宅金融専門会社=銀行や農協の別同部隊)処理策として、ようやく公的資金を使った基金が設立されています。
対応の初動を誤ることの代償は高くつきますね。
私たちはこの問題の根本的な解決策を見つけるまでに、さらにその後7年の月日の経過といくつかの金融機関の破綻、巨額の株式時価総額の毀損を経験しなければなりませんでした・・・
今回の米国の当局がとった対応をみますと、改めて日米の危機対応力の差を感じないわけには行きません。
ベアー・スターンズの処理では、ニューヨーク連銀は直接公的資金を投入したわけではありませんが、いわばその一歩手前の寸止め、今後さらに事態が深刻化するようなことがあれば、当局はいつでも最後の一線を越える可能性を示唆している、そう市場は解釈したことでしょう。
仮に信用収縮の問題が解決すれば、あとは米国の住宅価格が下げ止まるのを待つだけ、米国のサブプライム問題は徐々に終息に向かいつつあるといってよいのではないでしょうか。
翻って我が国の状況を考えると、私などは毎度のことながら憂鬱な気分にならざるを得ません・・・
例えば日銀総裁が決まらないなどということが、果たしてあってよいものなのでしょうか。
確かに私達は歴史上初めて、二大政党による政治を体験しようとしているわけですから、その移行過程においては、ある程度の試行錯誤や戦術上の幼稚さには目をつぶらざるを得ないのかもしれません。
ただ前回のバブル処理時にもみられましたが(例えば公的資金注入まで13年かかったというたたぐいの)物事を決める際の優柔不断は、もはや私達日本人の『習い性(ならいしょう)』として、国民一人ひとりの心の中に定着しつつあるのではないかとすら感じてしまいます。
今後二大政党体勢に移行するかどうか、その点私にはよく解りませんが、仮にそうなったとしても結果は同じ、つまり何も決められないのではないか、そう考えてはまた憂鬱な気分になってしまいます。
やはり国民一同、習い性をリセットせざるを得なくなうような苦しみを味わうことになるのでしょうか・・・
Tokyo Master